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 まだまだ勝負所。


▼2005/05/31

proxin1.ciemat.es
ちょっと調べれば、これがAちゃんだって解ります。
お願いだからもう来ないで下さい。
そんなに私に関わって来たいのなら、
直接メール送って下さい。
cha-le@mail.goo.ne.jp ▼2005/05/29 23:42

wakwakのAちゃん及びAちゃんの友達へ。
もうここに来ないで下さい。お願いします。
観られていると想うと苦しいです。
もう私からAちゃんに関わる事は無いから、
だから、縁を切って下さい。
お願いします。
それでも来るのなら、ここは閉じます。

今までの日記に散々書いてきた内容です。
色々考えたし、下に書いた通り悪かったとも想っているけれど、
どうしても、仲違いした人に見続けられるのは気分が悪いです。
そんな理由。

▼2005/05/28 14:25

index踏まないでこのページに直接来ていても、解析付けてるから解ります。

昨日は旦那と飲み屋さんでお祝いをしていたんだけれど、
嫌な事、では無いかな。よく解らない事があった。
縁が切れちゃった人に凄く似ている人が居たんだよね。
聴こえてくる話し声がその人そっくり。
以前は煙草なんて吸っていなかったけれど、その人は吸っていた。
だから別人かなぁ、なんて話を旦那としていたけれど、
どうなんでしょ。
かなり動揺したけれど、場所が場所だし、そんな事もあるのかな。
もしその人が本人で、話す事が出来たんだったら謝りたかったな。
やっぱり、どう考えても私は悪かったと想うから。
あの時、私が冷静に気持ちを伝える事が出来ていたら、
今も縁は切れていなかったかもしれない。

誕生日のプレゼント、何がいい?と両親に言われて、
悩んだ挙句、ホームベーカリーを買って貰ってしまいました。
もういい年だし入院関連でお金掛けさせちゃってるし、
こんな年になってまで養って貰ってるんだから、
その上プレゼントなんて要らない、と何度も言ったんだけれど、
うちの親は強い。何が何でもプレゼントする、と押し切られてしまいました。
折角なので、有り難く受ける事にしました。
申し訳ない。
で、ホームベーカリー。
前々から家でパンを焼きたいなと想っていたのです。
買ってもらってから作ったのは、ピザ、クッキー、食パン。
食パンは今朝焼きました。
綺麗に膨らんで、焼き色も綺麗♪
後で遅めのお昼に食べてみようかなと想っています。

6月末で父が定年退職します。
その退職をお祝いしたいなぁと想っていて、
何かプレゼントしようと考えていたのです。
で、劇団四季のキャッツのチケットをプレゼントする事にしました。
前から3列目。回転席!
ミュージカルに行ったことのない父、楽しんでくれるといいなぁ。

▼2005/05/25 11:24

徹夜明け。
薬を飲まないだけあって、眠れない日はとことん眠れない。
横になっても悩み事は解決するどころか増していくばかり。
気分転換にとネットをうろついてみても、
何に対しても過剰に反応してしまう。
だから疲れる。

家の人が起き出す時間になると、ペットの犬が吠える。
無駄に吠えたらちゃんと叱らないと聞き分けのない子になっちゃうのに、
両親は一切叱らない。
大切な、大好きなペットだけれど、吠え続けられるとどうしても苛々が溜まってしまう。
そんな些細な事で苛々する自分にも腹が立つ。
その苛々が溜まって犬を叱りに行く自分が嫌だ。
自分の苛々をぶちまけているのかな、と想うと本当に哀しくなる。

薄っすらと眠くなってきたと想うと、今度は両親が声を荒げて喧嘩。
怖い。
心臓がばくばく音を立てているのが解る。
体が小刻みに震えてきて、口の中が渇いて。
レキソタン飲みたい。でも両親に振り回されて薬を飲むなんてもう嫌だ。
それ以前に怖くて部屋の外に出られない。水すら飲みに行けない。
両親の喧嘩であって、私が怒られてる訳じゃないのに、
自分がその中にいるような気がして、これを書いている今でも怖くて、
何時部屋のドアを開けられて、殴りこまれるんじゃないかと想えて、
もしこの日記を読まれたら、どんな侮蔑の言葉が降りかかってくるのかとか、
面白いように先が読めてくる。
さっきから爆音で掛けている大好きな音楽。聴いても気持ち、荒立ったまま。

両親の全てが全て、悪い訳じゃない。
でも、きっと、私と合わない。それは確かなんだと想う。
私は本当にこの人達の子供なんだろうか。
間違いなんて無いだろうけれど、余りにも性格が違い過ぎる。
同じ場所で生活するとげっそりしてしまう。
ここまで養って貰って、今も沢山迷惑を掛けて、散々心配掛けた上死に切れなくて、
一緒に暮らす事もまともに出来なくて、
両親に対して想う感情は、「恐怖」。それが真っ先に来るもので。
何で、両親に対してこんな想いを抱かなきゃいけないんだろう。

夜中にネットで観た、小さい子の居る家族のページ。
病気の子供を両親が心から心配して泣いている日記があった。
そういうごく「普通」の事。
私もいつか結婚して、家庭を持って、そういうものを創り出せるのかな。
こんな普通じゃないキチガイには到底無理かな。

死に直面してから、私は変わったと想う。
大切にするものが増えた。
今までは気付かなかった。見落としていた、大切なもの。
人。友達。
気付かないうちに沢山の人に迷惑掛けて、傷付けて・・・
そうして、友達を見失ってしまったのかな。
自殺未遂をするまでは、人と連絡を取り合う事があまり好きじゃなかった。
連絡を取ったとしても、せいぜいメール位。
後は眠剤をたっぷり飲んだ後にスピリタスを大量に飲んで、
とんでもない真夜中に電話を掛け捲ったり・・・
最低。
色んな人に迷惑掛けた。
それでも笑って対応してくれた人達の事を今考えると、本当に有難い。
よく愛想をつかさないでくれたな、と想う。
けれど、そういう事が切欠で離れていってしまった人達も沢山で。
真夜中の電話だけじゃなくて、色んな所で迷惑掛けて。
本当に申し訳ないと想う。
今更だけれど、ごめんなさい。
今の私から見ても、未遂前の私は今以上に狂っていたと想う。
離れていって当然だよ。
本当に、最低。

人との繋がりは大切にしたい。
もし出来るのなら、自分のしてきた事をきちんと謝りたい。
すぐには解って貰えなくても、昔の私とはもう違うって事を示したい。
でも、もう無駄なのかな。
一度壊れたら元には戻らないかな。

不安定不安定不安定。
死を身近に知って、少しだけでも変わる事が出来て、やっと前を向けるようになって、
だからこそ解るようになった「現実」。
失ってからじゃ遅いって事。
どんなに後悔しても取り返しのつかない事。
もし時間を戻せるのなら、過去に戻れるのなら、どうしたい?
死に掛けたからこそ想うようになったよ。
「あの時死んでいれば良かった」

▼2005/05/18 23:18

追記です。
御巣鷹山での日本航空機墜落事故の資料です。
フラッシュで、実際の航路とブラックボックスの音声とがリンクしてます。
是非、一度聴いてみて下さい。

こちらです

▼2005/05/18 20:59

何だか解らないけれど、俄然やる気が出てきています。
バレエを始めるよりも前に、バイトをしようと想う。
まずは少しだけでも自分で稼げるようになって、
生活リズムを掴めるようになりたいから。
それに何より柔軟をきちんと出来ていないので、
バレエを再開するにも出来ない状況だし。
何でもかんでもマイナスに考えてしまうけれど、
嫌でも時間は流れる。
だから、私も動いていかなくちゃいけない。

日本航空の御巣鷹山での墜落事故。
JAL123便の事件について、ほんのちょっとしたきっかけで、ここ2,3日で調べてみました。
事故当時私は5歳。
戦後最大の被害者を出してしまったこの事故について、
恥ずかしながら私は殆ど知識がありませんでした。
知っていたのは、坂本九さんがこの事故で亡くなったという事、
御巣鷹山への墜落事故だった事、
沢山の被害者が出た事、
その位でした。

調べていくと、事故機のブラックボックスに記録された音声ファイルに辿り着きました。
聴くべきかどうか、非常に迷いました。
聴き始めても、途中で切ってしまったり、
・・・ここに記録されている声の方が、もうこの世には居ないのだと想うと、
胸が苦しくなりました。

乗り合わせていた方も、乗務員の方も、どんな想いで居たんだろうか。
ボイスレコーダーに遺された声を聴いてみた所、
機長さんや副操縦士さんは、何とかして危機を脱しようとしていたように想えました。
最後の最後まで諦めず、冷静さを保ち続けて・・・心から立派だなと想います。
乗客の方や客室乗務員の方の書いた遺書も発見されたようで、
公開されている一部の物を読ませて頂きました。
「死にたくない」「怖い」という強い想いや、
今までの人生への感謝が綴られたもの、
様々な想いが凝縮された遺書でした。
事故によって亡くなった方々の検視をなさったお医者さんの手記も読みました。
それからは、あまりにも凄惨な状態が伝わってきました。

この事故で助かった方は僅かに4人。
520名もの方が、胎児を含めると521名もが亡くなっています。

きっと、誰一人として、自ら命を失いたかった人はいないと想います。
生きたいと想っても、叶わない人も居る。
そんな中、私は自ら命を絶とうとして、
助けて貰った今も、生きる事を躊躇っている。
何て贅沢なんだろうか。

生きるのが苦しくても、怖くても、辛くても、
きっとそんなものは大した苦痛じゃない。
生きていれば、辛い事以外だって経験できる。
死にたくなっても、途中で全てを投げ出してしまいたくなっても、
「生きたくても生きられなかった人は大勢居る」
この事を決して忘れてはいけないと想う。
強くても弱くても構わない。
命には、強さも弱さも関係なく、重みがあるから。

▼2005/05/17 22:23

またサボってました。
今日も一人暮らし先に引きこもっています。

11日の夜、大学からの友達と旦那と私で飲みました。
今回は少人数で、4人。
とにかく楽しい!友達っていいなぁとつくづく想ってしまいます。
ただ、お酒にかなり弱くなってしまったのに沢山飲んだので、
翌日一日中胃が痛かったです。
HUBでタランチュラ、久し振りに飲みました。
美味しかったけれど、
無理は出来ない年になってしまったんでしょうか。

やけに飲んでしまったのには理由があって。
ちょっと衝撃的な事を聞いてしまって、動揺しちゃったもんで。
これは飲まなくちゃやってられない、となった訳です。
今はもう全然大丈夫だけど、
その時はホント、訳が分からなくなったんです。
話を聴いてくれた友達に心から感謝。
もっと私、強くならないといけないね。
いつも書いている事だけど、ホント、私は弱過ぎる。

14日には旦那と一緒に劇団四季の「夢から醒めた夢」を観に行ってきました。
前から3列目、実質2列目の、舞台へ向かって右側の方で、
かなり良く見える場所でした。
開演前から俳優さん達が客席に出てきてくれて、
パフォーマンスをしてくれました。
やっぱり俳優さん達、プロだね。凄い。
遊園地にでも迷い込んだかのような錯覚さえ感じました。
開演したらもう、舞台に釘づけ。
主役の人も勿論凄かったんだけど、
どうしても気になってしまうのは、その後ろのダンサーさん達。
憧れの職業。
いいな、踊る事って。
好きな事を自信を持ってこなしている姿って、綺麗だと想う。
私には全然自信ってものがないな。
今の状況、打破しなくちゃ。

相変わらず昼夜逆転生活をしています。
今日の明け方、窓の外に目をやった。
空の色が、赤、紫、青と混ざっていて、
絵に描いたように綺麗だった。
次第に明るくなっていくにつれ、鳥の鳴き声も加わって。
そんな中、何もせず引きこもっているだけの私。
凄くみっともない、ちっぽけな存在。
独りでいるからなのかな、
「あの時死ぬべきだった」
どうしても頭の中に浮かんでくる。

「なんとなく」生きている。
今も昔も、生きている理由が解らない。
だからこそ、生きる事を終わらせて決着を付けようとしたのかな。
汚い私。汚い世の中。
何処かに逃げても何も終わらない。だから、
総てを終わらせてしまえたら、と想う。
今は、目隠しをして、在るものを敢えて見ないようにしているから何とか生きていられる気がするけれど、
総てを見つめて生きる必要に迫られたら。

何が幸せなんだろう。何を望んでいるのだろう。
一つでいい。誇れるものがあれば、きっときつくても生きていける。
それを手に入れられるかどうかは自分自身の問題。
努力も何もしないで世間から引っ込んで這うように生きて。
それじゃあ、死んでいるのと何にも変わらないよ。

▼2005/05/10 1:38

GW中は一人暮らし先に引っ込んでいました。
そこから実家への帰り、鞄の中は荷物でぎゅうぎゅう。
圧迫されたせか、中に入れてきたウェブカメラとUSBポートが壊れました・・・
無理矢理荷物を詰め込むのは良くないと身を持って知りました。
やっぱり、私は何事につけても体験しないと学ばないんでしょうか。はぁぁ。

今日は病院に行きました。
話したのは、下の日記の内容。
実家に居ると居場所が無くて、独りになりたいと想うのに、
いざ独り暮らし先に戻ると、寂しくて寂しくてしょうがないという事と、電車の話。

電車や人ごみに対する恐怖が無くなってきたと言ったら、
急に恐怖が消えるって事は、また何時恐怖が復活するか解らないという事、と言われました。
油断大敵。また電車に乗れなくなったりしないに越した事はないけれど、
元に戻っちゃうかもしれないって想って居た方が気が楽だね。

私は本当に助かって良かったんだろうか。
そんな事を考えてしまうなんて、凄く罰当たりだと想うけれど、
生きていていいのかな、疑問は消えない。
どうしても、自分に価値を見出せない。
今までも、これから先も、どうやって生きていけばいいのか解らない。
でも、助けて貰った。沢山迷惑を掛けてしまった。
もう命を無駄になんて絶対に出来ない。
救って貰った命を大切に、充実した人生を送らなくちゃ。
けれど、何をどうしたらいいのか全然解らない。
かろうじてやっている事は、全て家の内部の事。
家事ばっかり。
社会に出ない自分が情けない。腹が立つ。
いい年して未遂で両親を泣かせて痩せさせて、高い治療費払わせて・・・
「普通」なら、社会に出てまっとうに働いて、親に温泉旅行の一つでもプレゼントしている頃なんじゃないのかな。
せめて、将来に繋がる事を考えて行動していかなくちゃ。
バレエとバイト。それだけでもこなさないと。


▼2005/05/02 0:40

苦しい。
友達に引き上げて貰ったのに、落下。
胸が苦しい。
目が真っ赤。止まらない。明日、腫れちゃうね。

▼2005/05/01 19:19

駄目だ。何をやっても手に付かない。
薬無しがこんなにきついなんて。
抱えるものが多過ぎて、不安だらけでもう何が何だか分からない。
わんわん泣いては収まって、また泣いての繰り返し。
頭、痛いよ。何やってるんだろう。馬鹿だ。

▼2005/05/01 18:44

未遂騒動を起こして以来、一人で居る時間がとても多くなった。
時間を持て余しがちな中、無駄に考え事なんてしたくないと想っていても、頭の中は勝手に暴走し始めてしまう。

何か些細な出来事があると、直ぐにそれを悪い方へと結び付けてしまう。
一人の時間を過ごせない。
気付けば寂しくて胃の辺りがきゅっと痛くなっている。
涙が込み上げる。
どうしても自分の置かれた現状を悪い方へとしか考えられない。

気にしているのは本当に些細な事ばかり。
例えば、友達に送ったメールが何日か返ってこない事。
後になって返事が来たら、ああ、忙しかったんだな、と想うけれど、
丸一日以上返事を貰えないと、不安になる。
嫌われる事をしちゃったかな、って。
最初のうちはそう考えていて、暫く経つとそれは諦めに変わってしまう。
私は友達いないから、って。

実家に居れば、一人じゃない。ペットが沢山居てくれる。
同じ人間ではないけれど、強い心の支えになってくれる。
けれど、一人暮らし先に行くとなると話は別。
未遂前はペットのむーちゃんと一緒に暮らしていた。
でも今は8割実家暮らし、2割一人暮らし。
その関係で、むーちゃんは実家に居ます。
だから、今は一人。
ぬいぐるみを片時も離せないのは異常かもしれない。

悪い方へ悪い方へと考えてしまうのは私の元からの性格、欠点なんだろう。
それを消すのは難しいし不可能だと想うけれど、改善する事は出来る、と信じたい。
けれど、もう埋める事の出来ない大きな溝があるような気もしている。
小さい頃から、一人っ子という事もあって過保護にされていた。けれど、
こんな事を想うのは物凄く我侭なのかもしれないけれど、
常に寂しい想いをしてここまで来たような気がする。
私は両親にとって念願の子供だったらしく、
母が私を産めた事自体が奇跡だったそうなので、
兄弟を望む事は不可能でした。

友達と居る時は、気付けば常に顔色を伺って、嫌われないかな、大丈夫かな、と想っていた。
失う事を考えるだけで怖いのを通り越して恐怖を感じていました。
それだけ他人に依存するようになったのは何時からだったのか、今になっては分からない。
小さい頃から一人で居る事が多かったし、一人で過ごす事が普通だったし、友達に依存しているなとは一寸想ってきていたけれど、
昔は常に寂しいなんて想っていなかった。
けれど、今になって考えてみると、寂しくて堪らなかったんだなと想います。
寂しい気持ちを、「一人で居る事が普通だ」と想い込む事で濁していたんじゃないかな、と。

妥協しなくちゃいけない事、自分の価値を認める必要がある事、受け入れる事、諦める事。
今私に必要とされている事は山のようにある。
寂しい寂しい言っていても、何も解決しない。
色んな事をして気分を変えなくちゃ。
慣れないと。
もっと強くなりたい。私は本当に弱くて情けない。

▼2005/04/28 1:49

日記なんだからもっと沢山書かなくちゃ、っていつも思う。
風邪をこじらせています。まだ治りません。
そのせいか家に篭りっきりでした。
篭りっきりで鬱々気分全開だったから良くない。
定期的に外に出ないといけないね。
早くバレエにも行かないと。

時間が遅いのでこれだけで。

▼2005/04/14 18:54

かなり長く書いた日記が一気に消えた・・・
今から書き直し。かなり書く気を削がれました。

2週間近く前から風邪を引いています。
ようやく治ってきたかなと言う所なんだけれど、
今朝あまり布団をかけないで寝ていたせいか、ちょっと冷えてしまいました。
そのせいで喉の痛みと咳がぶり返してきている感じ。
でももうあまり薬は飲みたくないな。

桜の季節が終わってしまいそうで寂しい。
私の大好物です、桜。
観るのは勿論食べるのも好き。
今年は友達と一緒に実家の近くの桜で有名な公園へお花見に行きました。
その日の夜には実家近くのブラッスリーでご飯を食べたんだけれど、
そこで出た料理が、魚の桜葉蒸し!
季節を感じられて凄く嬉しかったなぁ。
お金に余裕があれば、吉野の千本桜、観に行ったりしたいんだけれど、
そうもいかない。
ので、家の近くで桜を観て、後は桜の食べ物を探しまくってしまうのが春の恒例になっています。

もうここ何年も春先と言えば桜の食べ物を探す!と、趣味を超えて義務のように探し歩いています。
私にとって桜の食べ物は、見付けたら問答無用で買う物なのです。
最近は桜が一般に受け入れられるようになってきたのか、
桜餅や和菓子以外にも沢山取り入れられるようになってきているようです。
ケーキやクッキー、マドレーヌ、おこわ、などなど。
デパ地下を歩くのは目の毒です。

で、今年の春もさんざん探し回って色々購入しているので、
折角なので、暇だし良い機会なので、桜の食べ物の写真と説明を載せたページでも作ろうかなと想ってます。
趣味も趣味なので時間をかけてゆっくりと。
需要の無さそうなページになりそうだけど、こんなのがあってもいいかなぁと想ってます。
桜ファンを増やそう。
桜と張る好物が杏仁豆腐なのですが、
杏仁のページは沢山あるので割愛。

退院してからようやく1ヶ月です。
最近になってやっと不自由なく体が動くなぁと実感するようになりました。
走っても苦しくならない事の嬉しさと言ったら、もう。
で、体力が回復してきたので、そろそろ動こうかと想っています。
バレエを再開するつもりです。
でも休んでいる間に体がかなり固くなってしまったので、
柔軟を頑張らなくちゃな。

入院していた時と退院後2週間位の事を今考えると、
相当混乱していたなと想います。
薬の影響で脳が壊れていたんじゃないかと。
今想えば行動も言動も怪しかったし。
入院していた時の事を想い出すと、恥ずかしくてたまらない。
きっと、人生最大の恥をかいたのが病院だと想います。

先週辺りはかなり堕ちていました。
けれどようやく落ち着いてきたかなという感じです。
抗鬱剤を再処方して貰ったのが効いてきているのかな。
今はルボックスを3/day飲んでいます。
薬のページは直していないけれど、他の薬は一切飲んでいません。
睡眠薬もレキソタンも無し。
だから堕ちる所まで堕ちたのかもしれないけれど。

未だに答えの解らない事があります。
何故苦しくても生きなくちゃいけないのか。
おぼろげだけど、見えかけているような気もします。
きっと、そこに理由なんて無いんでしょう。
そんな気がする。

おまけ。最近のむーちゃんです。
もうじき1歳になります。






▼2005/04/08 12:38

色んな人に迷惑を掛けて、必死に助けて貰って、
その上でこんな事を想ってはいけない事は解っているけれど。
私はあの時死ぬべきだったんだと想う。
何かの間違いで死にきれなかったから、
だから帳尻が合わなくなっているんだと想う。

▼2005/04/05 19:26

まだ体力が戻っていないせいか、何をするにもすぐ疲れる。
風邪もひいちゃって、熱があります。喉も痛い。

こんな事を書いていいのかどうか、凄く悩んだけれど、
私自身の体験談として、反省として書く事にしました。

自殺未遂を起こして、ようやく解った事、というのが沢山あります。
本気で死のうと考えて、それを行動に移さなければ、きっと私には永遠に解らなかった事。
命の大切さ。
下らない事で悩んでいたという馬鹿馬鹿しさ。
人を思い遣る事の大切さ。
他人と競い合う必要は無いという事。
私は一人じゃないという事。
自分が何も出来ない、友人であった筈の人から排除されてしまうような情け内人間に思えても、
存在しているだけで価値があるという事。

書き切れない沢山の事にようやく気付く事が出来ました。

生きていくのに自分を押し殺してしまう必要なんて無い。
自分勝手に生きるというのとはまた違って、
他人に対して思い遣りを持ったり、尊重したりする事は当然必要な事。
でも、自分の意思をちゃんと持って、それを他人に伝える事をしなくちゃ駄目。
我慢ばかりして圧迫されてしまうから、いつか感情が爆発してしまう。

死ななきゃ解らない事というものは本当に存在します。

今の私を面白半分で見ている人が沢山居るけれど、
つくづく馬鹿だなあと思う。
私はもう何もこだわってないのに。
見ていて楽しいならどうぞご勝手に、と思うけど。
こんなのを読んで時間を無駄にしてていいんだろうか。
まぁいいや。

自殺未遂から一ヶ月ちょい経ってしまったので、
かなり気持ちが落ち着いてきています。
でも本当に色々考え方が変わったなぁ。
自殺を考えている人には言えない事だけれど、
私は本気で死のうとして、実行して、それで変わる事が出来た。
そうでもしなくちゃ解らない事が沢山あった。
本気で死ぬ気にならなきゃ解らない事ってあるものです。


▼2005/03/22 21:21

自殺関連の話が暫く続きます。

動機、と言うんでしょうか。薬を飲んだ原因。
退院して暫く経った今だから大まかな原因は何だったのか考えられるけれど、
薬を飲む直前とか、何があったのか、何を考えていたのか、どんな服装だったのかすら覚えてません。
当然原因も解らない程混乱していたのでしょう。

咄嗟に行動してしまった位、混乱していた。
でなけりゃ、救急隊の人が部屋に入ってくるんだから部屋綺麗にしなくちゃ、とか、
綺麗な服に着替えなくちゃ、とか、
考える筈です。
そんな余裕が無い程焦って混乱して死にたくなったって事なのかな。

死ねば全てが終わる、全てから解き放たれる、と想っていました。
けれど違う。
自ら死を選ぶ事は只の逃げです。
それも永遠に誰かに追いかけられ続ける逃げ。
全てが終り解き放たれるのは、寿命をまっとうしてから。
自分勝手に死のうとしては、解放感なんて味わえる筈もなく。

病院の夜はとても怖かったです。
意識が比較的はっきりしてから迎えた夜は一晩だけだったのですが、
怖過ぎて何が何だか。
夜中にも救急車で運ばれてきた患者さんが同室に運ばれてきたり、
普通の病院では味わえない事だらけでした。
怖いし咳は止まらなくて辛いし眠れないで徹夜しちゃうし。
それから退院する日の朝から昼辺りまで、
妙に喜怒哀楽が強く表れて困りました。
自殺しようとした、馬鹿げた考えのままに動いてしまった事で周りに迷惑を掛け、悲しませてしまった事。
それらを考えて泣いていると、看護婦さんが励ましてくれて笑顔になれた事。
書き切れない程色んな事がありました。

きりがないので毎日ちょっとずつ自殺関連の事を書いていこうと想います。

▼2005/03/19 13:34

書き始めたら書きたい事が沢山出てきたので追記。

私が入院していたのは救命救急センターです。
なので、何とか助かったかなという状態になったら退院して別の病院に転院するか家に戻るかという事になります。
私はかなり早めに退院して家に戻ってしまいましたが、
戻って来てからも辛い症状が出ました。

まだ精密検査を受けてないから何とも言えないけれど、
脳に酸素が暫く行っていなかった為、後遺症があるかもしれないと言われて退院しました。
後遺症ではなかったけれど、
戻って来てからも手の震えが止まらなかったり、
力がなかなか入らなかったり、
今現在でも走れない位体力が無かったり、
もう大丈夫だけれど、一時的に離脱の症状が出て、統合失調的な反応が出たりしました。

自殺を考えている人は、後遺症についても考えた方が良いと想います。
私は奇跡的に助かりましたが、
一歩間違えれば今頃脳死の診断が下っている所です。
動きたくても動けない、意識があるのに無いと言われてしまう状況。
それ程辛いものって、やっぱり無いと想います。

▼2005/03/19 13:06

自殺未遂について。
私は今回の事があるまでは、自殺肯定派でした。
生まれてくるのに理由が無いのなら、生まれるか生まれないかを選べないのなら、
死ぬ事も誰にも選べないだろう、その人の自由でいいだろうと思っていました。
結局人は一人なんだし、一人が死んだ所で何も変わらないとも思っていました。
けれど違った。
本気で死ぬ筈で居た私、意識を取り戻した私に、両親も旦那も涙を沢山流していました。
旦那のご両親にまで迷惑を掛けてしまいました。
沢山の看護婦さん、先生にも手間を掛けさせてしまいました。
救急隊の人も、警察の人も、みんなに。

人は一人では無かった。

そして、色んな人の助けがあって、今私は生きて、ここに文字を連ねる事が出来ています。
私は沢山の人に助けられ、救われ、生かして貰っているのです。

人は一人で生きているのではない。
沢山の人を、悪く言えば巻き込んで生きている。
だから、自分勝手に死んじゃ駄目。
どんなに辛くても生きていかなくちゃ。

意識不明の間、悪夢のような現実をずっと見ていました。
意識不明の間でも意識はあるんです。
ぱっと聞くと意味不明だけれど、これは本当に。体験しました。

とんでもなく長い夢を見続けていたような気がしました。
一つの長い夢が終わって、また別の長い悪夢が始まる、そんな感じ。
それの登場人物が、実際の世界の看護婦さんや看護士さん、先生達。
意識が無いのなら登場人物も勝手に作り上げられて滅茶苦茶になる筈です。
が、意識を取り戻して何日か経って落ち着いてきた頃には、「夢ではなく、混乱した現実を見ていたのかもしれない」という事。それに気付き始めました。

自殺未遂を起こして想った事ですが、
この「混乱した現実」を見続けなくてはならないというのは非常に辛いという事です。
薬を大量に飲むという方法以外で自殺を図った事はありませんが、
きっと意識不明の間、死と生の間を彷徨っている間というのが、
一番辛い時間だと想います。
それは飛び降りなどでもきっと一緒なんじゃないかな。
とにかく長過ぎて、それこそ「殺して欲しい」と想える程辛い時間=悪夢のような現実。
です。

きっと、自ら死のうとすると、こういう苦しみを永遠、永遠と繰り返し見続けなければいけないんじゃないかな。

もし、自殺を考えている人が居るのなら、考え直して欲しい。
自殺ほど辛いものはきっと無いから。
「死んだ方がマシ」とよく言うけれど、それはきっと嘘。
本当に早く体から薬が抜けてくれないかと想いました。
辛いです、凄く。
普段泣いたりしない両親がぼたぼたと涙を流す姿を見たいですか?
沢山の人を困らせたいですか?
死ぬより辛い想いをしたいですか?

入院中の出来事を今日はちょこっと。
人工呼吸器を入れていたせいで咳が止まらない私。
「咳が止まらない」と言う私に対して、看護士さんは一言。
「そうですか、大変ですね」
にっこり笑って去っていったその人は、CROWNの有原さんに似ていました・・・

▼2005/03/17 13:57

3月3日の夜、私は自分で自分を殺そうとしました。
ラボナを230錠位とベゲA20錠位。
致死量を超える量でした。凄く危険な薬だと知っていて飲みました。確実に死にたかったから。
でも死ねなかった。
それはきっと、まだ死んではいけないから。
きっと、色んな人達が助けようと頑張ってくれたから。

もう二度と繰り返さない、繰り返せないと思いました。

薬を飲んだ時の記憶はあまりありません。
人間関係の負担が原因の大半を占めていたという事が解る程度。
本当に咄嗟に薬を飲んだらしく、パソコンも付いたまま。
救急隊が来たのも覚えてません。その頃から7日までかな、意識不明の重体だったそうで。
胃洗浄とか腸洗浄とか色々されたらしいです。覚えてません。
意識が戻らず植物状態になるかもとも言われたらしいです。
意識不明の間、呼吸も自分で出来ずに人工呼吸器に繋がれていたそうです。
誰にも入って来られないように、とドアのチェーンもかけておきました。
救急隊の人達はそれを切って入ってきたらしいです。

入院したのは比較的近くにある救命救急センター。
救命救急センターじゃなきゃ多分助からなかったと言われました。
そう言われてみれば設備が立派で看護婦さん達が多かったような気がするけれど、
意識が混濁していたので殆ど覚えていません。

あー嫌だ。私が死んだ方がマシだと思ってる人が来てる。

▼2005/03/02 18:33

昨日の朝、お味噌汁をよそおうとしたら、手にかけちゃって、
火傷〜
バーも握れない状態になっちゃって、バレエ行けませんでした。
今日はもう随分落ち着いたけど、まだ腫れてる。
ぼーっとしてると駄目ね。

最近、随分と生き易くなってきた気がします。
それはきっと、此処を捌け口にしているからなんだろうな。
話し合いにすら応じない人達。
それでも信じたかった馬鹿な私。
結局「執着」して自分で自分を振り回して疲れて。
復讐したいんだもんね。ホント馬鹿だと想うけど。
でも痛めつけられただけで、当て逃げされておいたままにしたくない。
それを治さなくちゃいけないのは解ってるんだけどね、
そういう症状、出てきちゃいけないんだけどね。

種類の違う人間だったと思えばいい、明らかに悪いのは相手側だ、
と、病院の先生も言っています。
だから放っておけばいいんだよ、と。
でも出てきてしまう「執着」。
どうしたらいいんでしょ。

▼2005/02/24 19:30

笑える。
間接的に「入院します」って教えただけで突然アクセス増えるとはね。
人の不幸は蜜の味なんでしょーか。

17歳のカルテ、2度目になりますが観ました
やっぱり良い。
典型的なボーダーを演じてるなぁと、ボーダーの私は想いましたです。

▼2004/02/21 22:52

症状が悪化しています。
自分でも理解出来ない感情や体の異変。
そんなものに悩まされるようになってきました。

生きるためにはお金が必要で。
入院するにもお金が必要で。
一日一万円。
入院費用を貯めるまでバイトをしないと。
じゃないと入院したくても出来ません。
相変わらず両親はお金の話になると会話が成立しませんので。

深夜のバイトを考えています。
じゃないとむーちゃんが寂しがって御飯を食べてくれなくなるので。
私がいないと生きる気がないみたいだから。
ペットが飼い主に似るってのはホントみたいね。
寂しがり且つ生きるのが難しい。

▼2005/02/08 18:17

確実に、少しずつだけど居場所が無くなっていく感覚。

でも今日はちょっとだけだけれど独りで外に出られた。
バイト希望の電話もかけられた。
ちょっとずつでいいから前進していかなくちゃ。

ドラマや映画を観ていると、両親が優し過ぎるように観えてしょうがない。
私には、「普通の両親」というものが解らない。
幼児期から大人になってまでも虐待を受けていたんだと気付いたのは病院に通い始めてから。
蹴飛ばされ、拳で殴られ、何度も何度も引っ叩かれ、裸足のまま寒空の中何時間も外に放置され、椅子に縛り付けられ、一メートル定規で叩かれ。
本はビリビリに破られ、学費を払ってやらないぞという「人質」をとって私を言いなりにさせた。

幼少期の頃も、大人になってからも、あまり記憶がありません。そういった辛い時の記憶は。
でもたまに一瞬頭をよぎったりする。
それが辛くて、一昨日の夜、泣いた。

私は普通の親になりたい。
でも普通の親という見本がいない。解らない。
中学の友達で、私の尊敬する人はお母さんだ、将来はお母さんのようになりたい、と言っている人が居た。
私には何の事だかちっとも理解出来なかった。
この世で一番消えて欲しい、近付いて欲しくない人間が母親だったから。
きっと私は今の治療の段階に進んできていても、母が死んでも泣けない。
むしろ解放され、ほっとするんだと想う。

普通って、何なんですか。

▼2005/01/31 19:18

結局病院、金曜日は行けませんでした。
電車が怖くて外に出る事を考えただけでも駄目。
結局次の土曜日まで延期。

書こうかどうしようか悩んでいた事なんですが、書きます。

貴方にHPアドレスをお教えした際、誰にも教えないで下さいと申し上げた筈です。
確かに教えてはいないと思います。
けれど、ネットストーカーさんにここに書いてある内容を伝えていた、という事を読ませて頂きました。
私はネットストーカーさんから永久に離れたいんです。
だから何度も移転を繰り返しているし、もう思い出したくもないんです。
なので、今更の今更ですが、その事を知った時、とてもショックでした。
今更どうしようもないのは解っていますが、
残念でした。

日曜日のバレエは風邪が悪化して行けずじまい。
旦那は毎日仕事が遅くまであって、独りの時間が長くて寂しい。
自殺する夢を観たり、もう先週末は崩壊してました。
定時で上がれる仕事はいいなと本当に思います。
定時じゃなくても今頃とか。
旦那が帰ってくるのは11時半過ぎとかの事もざら。
可哀想になってくるし、逢えない時間が長いのも辛いし、
何とかならないものでしょうか。

▼2005/01/24 21:33

バレエで凹んだ事を話してきて、あとは眠剤について相談してみたりしてきました。病院。
行くまでが大変だった。
いつもは旦那が一緒に来てくれるんだけれど、
今回は平日に行ったもんだから、独り。
電車が・・・
怖い。
怖すぎて行くまでの1時間半の間にレキソタンを6錠。
それも急行とか、長距離の間降りられない電車じゃないのに乗ったのに。
目を瞑っても駄目。何をやっても駄目。
とにかくきつかった。
帰りの電車はもっときつかった。
通勤ラッシュ真っ只中。
各駅停車のようなものに乗ってみたけれど、人どんどん乗ってくるし。
もう平日は病院行きたくないよ。
でも今週も金曜に病院なんですが・・・ううう

昨日はバレエでした。
私の中での葛藤が開放されたので、凄く楽しめました。
でも楽しい楽しいって言っていられるのもあと僅か。
春になったらバレエの本部の方にも通って本格的なレッスンを受けます。
今はまだ体力が付いてないから易しいレッスンしか受けてないし、「生徒」として居られるけれど、
春からはもう違う。根性ないとやってけない。
それでも目指したいんだから、頑張るよ。

▼2005/01/21 1:39

眠気が来ない。薬随分前に飲んだのに。
今日はベゲBを2錠。ベゲA1錠よりちょっと強いかな程度の効果が出る筈。
明日は夕方から病院行って来ます。
バレエで凹んだ話位しか話す事ないかな。
今週は風邪ひいてたってのもあって外に全然出てないし。
明日電車、ちゃんと乗れるか不安。

久し振りに友達と長電話しました。
やっぱり誰かと接すると気持ちが安らぐね。

横になっている時間が怖い。
独りで居るのは楽でもあるけれど、辛い時間でもあるから。
ぬいぐるみを横に置いて抱き締めて、
目を無理矢理瞑る。
そうすると色んな風景が頭の中に湧き上がってきて、
怖くなる。
所謂「グロ画像」的なものが出てきたり、
例の好きだった人が出てきたり。
眠れたとしても1時間置きに目が覚めたり。
薬は段々抗体が出来てきているのか効き難くなってきていて
量が増えるばかり。

今日の昼間、唐突に死にたいと想った。
貯めてある薬を全部飲もうかと想った。
理由なんて解らない。本当に何となく。
特に何かあった訳じゃない。
ただ、本当に何となく、「死のう」と想った。
でも結局薬に手は付けなかった。
何処かで何かが私を引き留めた。
それが何かは解り掛けているよ。
大切な人。大切な存在。大切な時間。
それを総て振り切って捨て去ってしまう事がもし出来たのなら、
今私は此処に居ない。

自分の事程解らないものって無いと想う。
今此処に文字を連ねている私自身も何が何だか解らない。
私は生きて、何をしたいんだろう。
生きた証を遺したい?
それとも忘れ去られてしまいたい?

今はまだ、誰からも忘れられてしまいたいと想ってしまう。
そうすれば、消えられるから。

でも、
守りたいものがあるから、消えられない。
でも消えてしまいたいとふと想う瞬間がある。
きっと腕を切ろうが何をしようが変わらない。
こんな自分を変えられるのは自分しか居ないのも解ってる。
だから辛い。薬を幾ら飲んでも消えない不安感。劣等感。
消えない傷跡。

何をすれば解放されるんだろう。
私の内側のどろどろしたもの。
外側は相変わらず無理矢理創った笑顔。
こんな状態で、もし本当に実家に戻らなきゃいけなくなったら、
大切な存在総てを諦めてでも消える選択をしてしまうかもしれない。
独りは怖い。でも実家には戻りたくない。
独りでも生きていける力が欲しい。
でも外に出るのが怖い。
私は本当に快方に向かっているの?

▼2005/01/20 20:39

風邪が長引いています。
日曜日のバレエではかなり凹んで、やっと浮上傾向にあるかなという所。
また日曜日に落ち込むんだろうな。

出来る事なら将来バレエの道に進みたい。
今はまだまだ体力が戻ってないから無理だけど、
先生にそう言いました。
先生も、まずは体力だね、と言ってました。

チバユウスケ。
私がもし男の人に生まれていたら、あんな風になりたかったな。
言葉では表せない魅力がある。

旦那がミッシェルのラストヘブンの写真集を買ってきてくれて、
それを観て改めてそう想ったのでした。

でも、新生ROSSOもいいけれど、michelleも良かったな、と
ちょっと寂しくなってしまう。

ROSSOのライブが近いです。
恵比寿のリキッドです。
旦那は仕事で行けないので、私一人での参戦。
900人収容の小さな箱+良い整理番号なので、
また近くで4人を観れるのかなぁと想うと今から楽しみです。

あぁぁでもそれより凹み過ぎていて今は何かもう駄目駄目。

▼2005/01/11 18:56

筋肉痛が凄いです。やっぱりブランクあると相当筋肉落ちるもんなんだね。
でもまた日曜日が来るのが凄く楽しみです。
早く踊りたい!

以前の彼に貰った指輪を捨てました。
実質婚約指輪を捨てた事になるのかな。
これでこっちもすっきり。
今日はいい気分で過ごせたなぁ。

▼2005/01/09 19:18

間が出来ちゃいました。ごめんなさい。
この所気分が上向きになったり下向きになったり、
どっちかと言えば下向きになりっぱなしの時が多いんだけれど。

今日からバレエ、再開しました。
終わった時からすでに筋肉痛。
でも、体を、全身を使って感情を表現出来る場所は凄く心地よくて、
こっちの道に進んでみようかなとすら想ってしまいました。

ユーロジンの効きはまあまあです。
可も無く不可も無くと言うか。

これから私、どうするんだろう。
教育学部はやめて、通信の精神保健福祉士は来年から再スタート。
バイトをしながらバレエの道を選ぶ、とか?

メールの返信が遅れています。ごめんなさい。
ついでによくよく考えたら叔母が亡くなったので喪中でした。
年賀状を下さった皆さん、有難うござしました。

▼2004/12/27 22:34

クリスマスイブ、クリスマスは平穏に過ごしました。
旦那に洋服を買って貰ってしまって申し訳ない。
結局マフラーは編み終わらず。年末年始に頑張らなくっちゃ。
クリスマスには失敗ケーキを作ってしまって落ち込み。
でも旦那は凄く喜んでくれた。それが嬉しいんだよ。

今日はむーちゃんを連れて鳥の病院へ。
父親に車を出して貰って、お昼から夜までの長期戦。
結果、足に火傷がある事が判明しました。
今まで暖房器具は人間で言うホットカーペットのようなものを使っていたのですが、
鳥にとってそれは禁忌だったようです。
足の裏に軽い火傷の跡がありました。
馬鹿な飼い主で本当に申し訳無く想う。

で、暖房方法を変えました。
籠の左側の上と左右を覆うように暖房器具を取り付けました。
これで火傷の心配はもう無し。
心配していたくしゃみと欠伸の連発も問題ないらしいです。
これで安心して年を越せるかな。
って、年賀状書いてないじゃん私!!!!

土曜日には診察を受けてきました。
32条が適用されるようになったので、これからは金銭面でかなり楽になりそうです。
で、丁度クリスマスだったので先生にプレゼントを渡してみました。紅茶。喜んでくれて凄く嬉しかった。
んで、
中途覚醒が酷いけれど朝早起きしなくちゃいけない日が多いから、少ない量でいいから長期型か中期型の眠剤を出して貰うように頼みました。
ドラールとか、選択肢は色々あったんだけれど、何となくユーロジンをお願いしてみました。
後々、かなり後々になると思いますが、薬の方に書き足しておきます。

あー。突然鬱。
今日母親とのやりとりで鬱に転がって復帰したと想ったんだけど、
やっぱり転落。ごろごろごろっとな。

そうそう。
HP移転してから突然ログが消えたりする事が多くなっています。
何かありましたらごめんなさい&教えて頂けると助かります。

▼2004/12/22 15:58

クリスマスプレゼント用のマフラー、まだ3分の1すら編み終わっていないのは何故なんでしょう。
そんなこんなで世間はクリスマス一色。
私もそんな雰囲気にちょっと乗せられてみて、
鳥の骨付きモモ肉を買ってきて、
明日はサラダ用の野菜も買いに出よう。
24日はケーキ、作ります。ブッシュドノエル。チョコレート味の。
ミルクチョコレートベースじゃなくて、ビターチョコで作ってみるつもりで材料買ってきました。
旦那がクリスマスを凄く楽しみにしてくれているので、
それに少しでも応えたいなぁと想うのですよ。

にしても、だ。
外が怖いの何のって。
人が沢山居るのを見た途端に倒れそうになったよ。
常に眉間に皺を寄せて歩いて、
それもぼーっとしながら。
帰ってきてから直ぐにセレナミンとレキソタンを飲む。
それからむーちゃんを出して、ご機嫌とって。
冷蔵庫にしまうもの、冷凍庫に入れるものと分けて。
何気ない一日の何気ない時間だけれど、苦痛。

昨日の夜眠る直前、旦那と話をしていました。
毎晩何だかんだと話をして1時間とか過ぎちゃうんだけど、昨日もそんな感じで、
私は人が多過ぎる場所じゃない所に移った方がいいんじゃないかな、と言われました。
勿論将来的な話だけれど。
言われた時は、今住んでいる場所も十分実家の近くに較べれば人が少なくて自然が多くて住みやすいと想って居たんだけれど、
今日外に出たらそんな事言った私が間違いだったなど一瞬にして解りました。
きつい。
圧迫される。
皆が皆悪い人でもないし、知っている人が居る訳でもないし、
みんなそれぞれ日常生活をそれとなく送っているだけなんだよ。
なのに、それを見る事すら怖いと想ってしまう。
対人恐怖のいい例かな。
結局は自分の問題なんだけどね。

▼2004/12/17 23:23

また携帯から。

私は旦那の「純粋さ、綺麗な心」に救われてここまで生きてこられたんだな、と思う。
もしあの時結婚してしまっていたら、私は永遠に当時の彼から母親的に、強くなれ、強くなれと言われ続けていたんだろうな。
そう思えばちょっかい出してくれた彼女にも感謝。
決して共感は出来ないけれど。
にしても、振られるわけがない、って自信を持てるのは凄い事だね。理解出来ない。
私は相手の気持ちを少しでも解りたい、解ろうとする事を忘れない人になりたい。
だから何処からきているのかよく解らない、私は振られない、って気持ちも理解出来るようになれればいいんだけどな。
価値観の違う人の主張を理解するの、凄く難しいもんだね。

▼2004/12/14 21:27

夢か現実か何なのか解らない目の前の光景に、
感動したのか驚愕したのか何なのか自分でも未だに解らない。
チバユウスケが数メートル先に居る。歌っている。
感極まって泣きそうになった。
魂の篭った歌い方は映像や音声よりも一層凄く強くて、
「今ならもう死んでもいいや」
と想える位の衝撃を受けた。
とにかく凄過ぎて、今でもその光景が頭から抜けない。
否、抜けさせたくないんだろうな。

ここ数日チバユウスケショックで日記書くどころじゃなかったってのもあって、
更にチバを見た次の日にいつも出てくる人が夢に出てきて辛かったってのもあって日記放置になってました。
以下、携帯に纏めておいたものを箇条書き。

夢なら醒めて。夢なら醒めないで。
夢に奔走されて現実よりも現実味がある。
つまんない事ばかりが頭をよぎって大切な物が見えて来ない。

欠伸で出た涙なのか、そうじゃない涙だったのか。

最近、次の日に試験があるのに勉強するの忘れてたとか宿題忘れてたとかいう内容の夢が多い。
常に追い詰められている感じがする。

ここからは携帯じゃなくて今の私の感情。
夢にいつも出てくる人に電話を掛けそうになった。
電話をかける寸前になって、夢から現実に引き戻されて。
その人が出てくる夢はいつもくっきりはっきり。
大体中学生か高校生っていう設定の夢。

もう1つ、今日観た夢。
結婚寸前だった人と、その人と破談になる原因の人に対する憎しみだらけの夢を観る。
私の周りの友達、知人、有名人。
同い年だったり年上だったり年下だったり色々だけれど、
私の一番の夢である「結婚」「母親になる」という事を叶えている人ばかり。
私はどうなるんだろう。
いつになったら、とも想うし、なれるのかとも想うし、
あの時結婚しちゃっていれば良かったのかとも想うし、
でもそうすると今の旦那との関係も無かった事になってしまうし、
もう、頭の中は訳が解らない。
チバの事と夢の事と現実の事。
単純に分けてしまえばこの3つだけなんだけどね、私の頭の中。

▼2004/12/06 17:05

随分と日記に間が出来てしまったのは、風邪をこじらせてぶっ倒れていたからです。
ようやくまともに起きて食事の支度程度は出来るまでに回復しました。
やっぱり、ちょっとでも体調悪いなと思ったらすぐに病院行かないと駄目ね。
今回は咳やら喉の痛みやらでかなり長引きそう。

通院して、ようやく自分の病的な部分の自覚が出来・

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